概要
世界的に活躍したドラマー・歌手の高橋幸宏さんが、2023年1月11日、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎により70歳で亡くなりました。
70年代に海外、特にロンドンで評価された「サディスティク・ミカ・バンド」を始め、世界的テクノポップバンド「YMO」以降も多くのバンドやソロ、アートプロジェクトに参加。
今も音楽業界に多くの影響を与えています。
このニュースに、海外からも彼のソロ曲「Drip Dry Eyes」(=洗濯物から水が落ちるようにぽたぽたと涙が落ちていくこと)になぞらえたコメントなど、多くの悲痛な声が寄せられています。
海外の反応
1:海外の反応
さっき悲しい知らせを聞いたばかりで、居ても立っても居られなくてコメントした。

2:海外の反応
日本の音楽を初めて世界水準に押し上げたYMO。
中でも高橋幸宏はドラムで稀有な才能を発揮し、テクノサウンドの象徴的存在だった。
こんなに早く逝ってしまうなんて。たくさんの素晴らしい音楽を届けてくれて、ありがとうございました。
3:海外の反応
彼は素晴らしいレジェンドだった。彼はYMOの代名詞、Rydeen も書いたんだ。
4:海外の反応
彼はYMOの影の立役者だった。
演奏と制作、もちろんビジュアル面※でも、彼が革新を続けたんだ。
彼のソロも素晴らしかったよね。
きっと世界中のシンセポップファンが彼の死を悼んでいるだろう。レジェンドよ、安らかに。
※高橋幸宏氏はファッションデザイナーととしての顔も持つ。YMOのファッションやジャケットデザインなどを主導した
5:海外の反応
ご冥福をお祈りいたします。高橋幸宏さん。あなたは私の人生を大きく変えてくれた。
6:海外の反応
彼は当時海外で活動した「サディスティック・ミカ・バンド」でも演奏していた。
サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、日本のロックバンド。1972年デビュー。1974年発表の2ndアルバム『黒船』は、当時英米でも発売されていた。活動中の1975年にはイギリスでツアーを行っている。1975年の解散後もこれまでに3度、ゲストボーカリストを迎えて再結成されている。
wikipedia
7:海外の反応
彼はサディスティック・ミカ・バンドとYMOという2つのレジェンドバンドに参加していた。
中でもYMOのエレクトロニック・ミュージックへの影響力は未だに強い。
音楽界で最もクールな3人のレジェンドの1人。高橋さん、安らかに眠ってくれ。
8:海外の反応
>>7
YMOの後の「スケッチ・ショウ」や、「METAFIVE」での作品も素晴らしかったよ。
スケッチ・ショウ(SKETCH SHOW)は、高橋幸宏と細野晴臣によるエレクトロニカ・ユニット。
wikipedia
9:海外の反応
高橋幸宏さん、安らかにお眠りください。みんながあなたを愛しています。
あなたの音楽は私に沢山のインスピレーションを与えてくれました。

10:海外の反応
電車で号泣。ユキヒロはとてもクリエイティブで楽しいアーティストだった。
あまりにもショックなニュースだ…。
11:海外の反応
イエロー・マジック・オーケストラはあまり聴いたことがなかったんだが、彼のソロ曲「drip dry eyes」はここ1.2 年前から毎日のように聴いていたんだ。
この曲がこんなに似合う日が来てしまうとはね…。
12:海外の反応
安らかに眠ってください。あなたはたくさんの素晴らしい音楽を世に届けてくれた。本当にありがとう。

13:海外の反応
ジェフ・ベックに高橋幸宏…立て続けにこんな悲しいことが起きるなんて。
YMOの影響は、最先端のエレクトロニック・ミュージックやポップ・ミュージックのいたるところに感じられるよ。
14:海外の反応
日本の音楽界にとって、悲しい日になったね。
15:海外の反応
安らかに眠ってほしい。確か最近坂本龍一も体調が悪いようで心配だが…。YMOは伝説です。
16:海外の反応
>>15
彼が癌の闘病中だということも、いくつかのサイトで読みました。
私たちはもう誰も失いたくない…
17:海外の反応
Drip Dry Eyes….。なんて美しくて崇高な曲なんだろうね。
時代をはるかに先取りし、80年代以降のエレクトロニック・ポップ・ミュージックの道を切り開いたのはあなたたちだった。
R.I.P.ユキヒロ。あなたは日本のジョン・レノンでした。
18:海外の反応
高橋幸宏さん、安らかにお眠りください。
彼は彼が生み出した音楽とアートの中で生き続けていくんだ。
19:海外の反応
涙で前がよく見えない…。彼の歌声を聴いて眠ることにするよ。
20:海外の反応
悲嘆に暮れている。彼は世界の音楽に影響を与えた偉大な人物の一人だった。

感想
彼が80年代に発表したアルバム「ニウロマンティック」からの曲「Drip Dry Eyes」になぞらえて、「こんなにこの曲が似合う日はない」というコメントにも、彼の影響力の強さを感じました。
YMOの代表曲とも言えるライディーンを作曲し、YMO解散後も数々の素晴らしい活動を重ねていた高橋さん。
復帰を楽しみにしていましたが、それも叶わずとのことで、本当に悲しく思います。
引用
reddit YouTube
MIDI打ちみたいに正確なドラムが好きだった。
音楽のセンスもだけど、ファッションセンスがすごすぎた。
海外でYMOが売れたのはこの人のビジュアルプロデュース力のおかげもあるとおもう