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海外「日本の黄金時代は明治政府のお陰で始まったのか…!」明治時代のある功績を外国人が称賛|海外の反応

概要

海外で、日本の明治政府が行った「海外の技術書の翻訳事業」が話題になっています。

取り上げられたのは、非西洋諸国の中でなぜ日本が19~20世紀初頭にかけて急速な工業化を果たしたかにまつわる全米経済研究所の論文です。

この中で、日本での急速な科学技術の進歩、工業化が進んだ要因として

科学用語の日本語への翻訳・体系化
✅技術書の翻訳
✅外国人人材による教育 …

に対し、明治政府が大規模な投資を行ったためではないかと論じています。

中でも特に注目を集めていたのは、当時世界の各言語で書かれた技術書の量に関する以下のデータ(図6)です。

このグラフは、1870年には、技術書のほとんどが英仏独伊の4言語で出版されていた(日本語の技術書はほぼ0)のに対し、明治維新後の1910年には、日本語の技術書が圧倒的に増加。英語の冊数さえ超えて、フランス語に次ぐ位置まで激増した状況を示しています。

それでは、このデータに対する海外の反応をご紹介します。

source 1

海外の反応

1:海外の反応

1910年の結果を見ると、フランス語が英語より上で、ドイツ語は両者を下回り、日本語はフランス語に次いで2位か…!
フランスが1位っていうのも意外な結果だよね。

2:海外の反応

>>1
1910年当時、フランスはキュリー夫妻をはじめとして、科学的発見の最先端にいたから。 

3:海外の反応

>>1
当時の科学技術界で、フランス語はコミュニティで広く話されていた言語だからだと思う。 

4:海外の反応

 しかし、なぜフランス人はいまだに自動車作りが下手なんだろうね?笑

5:海外の反応

>>4
シトロエンがおかしなシトロエンでなくなるまで、フランス車は最高だったんだけど。

6:海外の反応

それで、なぜ日本はこんなことを?

7:海外の反応

>>6
19世紀、西洋人が日本にやってきたとき、日本人は自分たちが技術的に遅れていることを痛感した。
日本はその国々に追いつくためにできることを何でもしたんだよ。

8:海外の反応

>>7
西洋の植民地化から身を守るために、社会を急速に近代化する必要があったことも事実だね…

9:海外の反応

明治政府は、世界中の知識を土地の言語に翻訳するよう命じた。
これが日本の黄金時代の始まりになったんだな。

10:海外の反応

最先端の知識が母国語に翻訳されてさえいれば、より広い人々が知識を使いやすくなる。
当然だけど重要なことだ。

11:海外の反応

日本の近代化については、知れば知るほど驚きがあるよ。

12:海外の反応

明治には、それまでの身分制を取り払ったり、フランスのコモン・ローに基づいて民法を作ったりして、日本の社会も完全に再編成されたんだよね。 

13:海外の反応

>>12
フランスがこの新しい日本にどれほどのインスピレーションを与えたかは、あまり評価されてないんだよなぁ。
イギリスやアメリカからの影響が注目されがちなんだ。 

14:海外の反応

明治時代、日本は海外に使節団を派遣して(岩倉使節団)技術を輸入し、近代的な学問を教える外国人の専門家(お雇い外国人)を採用して近代化を進めた。

15:海外の反応

人的資本の重要性に関しては、これ以上ないほど同意するよ!
日本語での迅速な技術的知識の体系化は、日本の工業化にとって画期的なことだった。 

16:海外の反応

日本人が外国の技術を学ぶため研究者を海外に派遣したとき、「特許図書館」を発見して驚いたそうだね。
というのも日本では、この種の技術知識は企業秘密として扱われていたから。
その後日本は1885年までに、独自の特許制度を作った。 

17:海外の反応

近代文明の進歩は、人々が共通語として英語を採用することだと思っていたけれど、この明治維新の件で考えを改める必要を感じたよ。
さあ、翻訳の時間だ… 

18:海外の反応

プログラマーになったときに思ったんだ。
「もし自分のビジネスが成功したら、プログラミングをインドネシア語に正確に翻訳できる専門家を雇いたい」と。
母国語で学べるということは、すごく重要なことだと思うよ。

19:海外の反応

AIによる翻訳に興奮するのはこういう歴史上の事実があるからだよ。
あらゆる技術的な知識が、あらゆる人々の母国語で利用できるようになる。 

20:海外の反応

明治維新に目を向けない人が多い。
国は優れたものを取り入れて、革新することで成長する。

失敗しているときでも自分の国がどこよりも優れていると考えるのは、停滞のいちばんの要因だよね。

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感想・まとめ

明治維新によって日本の近代化が加速したということは義務教育で学ぶ内容ですが、日本の歴史を語る上で、世界的に見ても非常にユニークな出来事だったのだなと新鮮に感じました🤔

最先端の学問を母国語で学べる国は、世界でも一握りしかないと言います。今後日本の学問がどうなってしまうのか、少し考えさせられる話ですね…

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56件のコメント

>フランスがこの新しい日本にどれほどのインスピレーションを与えたかは、あまり評価されてないんだよなぁ。

陸軍ももともとフランスの軍事制度を参考にしてたんだけどね。
日本からの留学生がパリで軍事制度を学んでる最中に普仏戦争が勃発し、日本人留学生のほとんどが士族出身だったことでサムライの血がうずいたのか義勇兵としてパリ防衛戦に参加した。
だけど戦場で留学生義勇兵たちが見たのはフランス兵のだらしなさとプロシャ兵(ドイツ兵)の勇猛さだった。
それにショックを受けた留学生たちは戦後にパリを去り、留学先をベルリンへと変更したそうな。

同じ新興国家と考えたドイツや立憲君主制を目指していたから英国と幅広く良いとこ取りをしたんだけどね。

今の階級制度を導入したのがフランスだからね。クリミア戦争時でも英国やロシアは将校が貴族で下士官以下が一般市民だった。だから庶民出身の将校が指揮を取るフランス軍に対して英国軍が嫌がらせした(わざと前線に送って盾にした)のは有名なエピソード。

翻訳するにしても概念すらない単語を新たに作りながらだから昔の人はすごいよね

福沢諭吉、緒方洪庵・・・
福澤先生や緒方先生のような文化人が当時の大阪から出たり、大阪で世界で初めて先物市場を開いたり、侵略されかかってるのにおっとり政治をする幕府とは別の大きな都市があったことに意味はあったのかもしれない

大村益次郎や福沢諭吉先生、手塚治虫先生のご先祖様、高橋留美子先生のご先祖様に関連している緒方洪庵先生の適塾の連中がいたからね

中華人民共和国という国名の、人民、共和、は日本で作られた言葉。共産党の共産という言葉も日本で作られた。共産党創設者たちの多くは日本の大学に留学して卒業した人たちだった。
第二次世界大戦終結後、共産党の八路軍(人民解放軍)はソ連に占拠された満州あたりにいた旧日本兵や赤十字の日本人看護師らを高位で雇って中国を一周して国民党と戦った。
中国は日本が欧米から取り入れたものを日本を通して吸収し、ソ連の支援も受けながら今の共産党支配体制の基礎を築いた。

>高位で雇って

高位とか意味わからんけど一般的には「留用」って言うんだよ。
別に高待遇で雇われたわけではないし、日本人を帰国させずに使役しただけだから。
その中には酌婦や性的サービスを強要された女性たちもいたわけだが政治的配慮だかなんだか知らんがほとんど語られることはない。

中華の古典にある単語使って翻訳してたからね当時の日本の知識人のスゴさよ

今でも専門的や学術的な書が母国語のものは無い国が大半らしいしね

明治政府の翻訳事業が凄いのは事実だが、それを可能にした江戸時代の識字率の向上や、それ以前の仏典の翻訳(遣唐使など)も忘れてはならない要因だよね。

「留学させたい」「世界中の書籍を集めたい」と思っても資金が無ければ無理で
それには銀山や年貢などで稼いだ資金が有ってこそ可能なわけで

年貢云々より、江戸時代の市場経済のしっかりとした土台があって日本は近代突入の準備ができてた
年貢とかで吸い上げるだけの古い封建的な中央集権体制だけで成り立ってたのではなく、一般の町民や庶民が潤うような市場経済や庶民が本を読んだりするような教養の土台がすでにこの国にはできてたから

全国各地の大名による参勤交代によって、定期的に全国から江戸までの途中の道すがら大名団体から一般庶民への「ばらまき」が各地の宿場町周辺で行われ、人と金とモノ文化が東西南北に運ばれ、交通も整備され、大きな侵略や戦争が無かったために、経済や文化を伸ばすだけの時間的な余裕もあった

道や宿場町がしっかり整備されたために伊勢参りなどの旅行も一般の間で盛んに流行して、大きな座が組まれた
送り出す人は選別を渡すため旅行者はお土産を買うので、各地で特産品が生まれた
貴族だけの文化ではなく庶民がこうして経済と文化に参加してることが近代化する時期が来た時に国民の平均的な教養度の高さとして日本の強みになったんだよ

この翻訳は福沢諭吉の多大な貢献がなければ成し得なかったかもしれない。
そもそも概念にない言語は翻訳できないわけだから、新しい概念の和製語を作りその上で翻訳する必要があるわけだから。

それだけじゃなくて、漢字という文字が概念の表現に優れていることも後押ししていると思う。
中国は日本に漢字を発明し輸出したおかげで、これらの和製語から欧米の新しい概念を逆輸入できている。

平和が長すぎて各藩も結構致命的な腐り方してたから、ギリギリのタイミングだったわな

日本は21世紀の科学系ノーベル賞受賞者数はアメリカ次ぐ2位だが、1901年の第一回ノーベル賞の時に既に日本人の候補者はいた。明治維新から僅か30年しか経ってないという事はそれだけ江戸時代の学問が世界的に水準が高かったと言う事だよ。残念ながらノーベル賞受賞は白人優位の時代だったので、戦後になったが。

大の学問好きだった家康のおかげで、江戸時代までは貴族と僧侶に独占されていた学問が開かれて、江戸時代265年間が学問の時代になったんだよ。

特に江戸時代の和算や和時計の水準の高さはその当時の世界レベルだった。
関孝和の和算は当時の数学の世界最先端だったし、明治時代に西洋の近代時計が入ってきても、和時計より単純だったので直ぐに仕組みを理解し、比較的スムーズに近代時計産業が日本で発展を遂げていった。
これが後の日本の精密機械産業の基礎になる。

更に識字率も6割前後(当時の英仏でも3割)で貴族や僧侶などの特権階級に学問を独占されず、多数の町人学者が大活躍。
江戸時代を知っている日本人なら、明治維新の近代化が奇跡じゃないの事が分かる。

僕は幕府による緩やかな開国近代化の方が好戦的な国にならなくて良かったと思うけどね。戦前政府の不幸は下級武士が戦争で出世して作った政体だったこと。戦争が無ければ今の地位が無かった人たちだから物事の解決手段が戦争一択になりがちだった。

むしろ腐ってたからかもしれない
経済が発達して商人が金持ちになる一方、
武士が商業軽視していたため借金まみれになっていて、そこに明治政府側が借金肩代わりを持ちかけたから

ちな、明治政府は民衆と商人へ重税課して乗り切ったもよう

各藩ではなく幕藩体制が疲弊していた。
各藩はそれぞれの藩校で独自に西洋の技術を勉学していた。

日本は、工業化する前は、手工業の分業制が確立されていた。それらは欧米に匹敵するくらいに出来上がっていたのよ。だから、工業化においてもすんなりとシステムを導入できた。

日本が遅れていたのは、正に「学問化」であって、知識や情報をまとめ分析して、それを学問化出来ていなかった。経験則に基づいた「職人気質」が優先されたから。その一方で、比較的に識字率が高いのが功を奏し、知識の伝播が上手く行き、学問が根付いていった。

短期間で西洋のモノマネをして偉業を成し遂げたってよりも、それを受け入れられるだけの基盤があったから、西洋から学んで、日本なりに良いところを取り入れることが出来た。モノマネだけではあんな短期間で当時の列強国と肩を並べるほどに成長しない。

日本は単に工業化の面おいて立ち遅れていただけにすぎない
識字率も文化的成熟度も高かった。世界の動きに合わせて適応していっただけのことだよ
日本が潜在的な能力を持ち合わせていたことからして、それは自然な流れであって奇跡でもなんでもない

そもそも、道端に糞尿を投げ捨てていたり、陶器の皿もなく、手づかみで食事をとっていたような国があったように、国の発展は常に一様ではなく、一面だけ立ち遅れることのはごくありふれた現象

科学の起源はイスラム概念が影響したものも多く、その後多神教のギリシャからキリスト教の西欧と翻訳に障害が有ったが、日本にはそれが無かったという幸運も有る。

まず一般庶民の識字率が高くないとどんな高度な技術書を翻訳しようが意味が無いから
1900年初頭なんて全世界の識字率が20%そこらで、先進国民以外文字を読めない書けないが当たり前の時代
当時の日本語は今と違って書き言葉と話し言葉が違ってて漢字も画数も異体字も無限で滅茶苦茶だったから、福沢諭吉が平易な日本語を広めてなかったら日本は欧米に植民地化されて英語習ってただろう
平易な言語は国家の基礎基盤であり複雑な言語は敗戦滅亡の大元と言える

1904に共通日本語を教科書にして全国で教えられるようにした万年先生の功績もある

海外から見てもとんでもない高級で外国人技術者を雇ってたもんなぁ。主に炭鉱などの土木系や造船など大規模な製造業で外国人技術者のいろんな功績が残ってる。

駄目な人も多かったろうが中にかなり優秀な人がいて日本に貢献してくれたからね。当時の日本人の人を見る目も優れていたよな。

まあ、海外の技術者の功績って言うか、日本人の学ぶ意欲が凄まじいって思えることが多い(江戸時代でも日本に来た外国人の手記などにそう書かれてる)

時代は違うけど日本の企業が日本で初めてグランドピアノを作った時も(ヤマハかカワイか忘れた)、イタリアの一流のピアノ制作のマイスターを招待したわけだけどつくったのはつくったけど、細々とした技術のことはほぼ教えてもらえなかったんだよね
で、せっかく作ったのに、また解体したりイタリアへ行ったり結局は自分たちで研究し始めて最初は日本建築の木組みの方法とかで何とかしようとしてたらしい(最終的に本国と同じ方法を見出したけど)
結局日本はピアノも素晴らしいものをつくって、バブル期などには間に合って国内のピアノはほぼ国産だし海外での評価も高い
欧米から技術者を呼んだからと自分たちでつくれるようになるかというと、結局は自分たち次第なので、どんなに技術者が他国から来てもあまり発展につながらない国も多い

技術書が0はないでしょ中国や日本には技術がそれまでなかったのかよ、

和紙の作り方とか染色技術とか木工とか料理の指南書だったらむしろ大量にありそうだけど、あくまでも工業関連の技術書って事じゃないかな?

これXで日本語で解説してる人いるから探してみ
技術書の話も4言語が1910年には84%→66%になって日本語は19%になったという話をもっと詳しく数字つきで解説してるから

外人ってアホだから西洋化=近代化って概念しか持ってない
日本は西洋化する前から西洋並みかそれ以上の文化や擬似を持ってる国なんだよ
明治時代に急に日本が発展したと思うのがすでに浅はか

数学の勉強していて「関数」という漢字を「函数」に戻して欲しいとつくづく感じた
関数の意味が漠然としたまま数学の勉強してたけど、「函数(数字を入れる箱)」というのが語源と知って一発で理解できた
この用語自体はもともと中国で使われてたらしいけど、常用漢字で負担軽減のため(?)に制限するにしても、基本的な知識の理解の阻害するレベルで制限するのは本末転倒だと思う

パソコンやスマホが無い時代に母国語で知識を得られるのは大きい、小学生でも興味が湧けばオタクになり学術論文まで読めるのはやはり凄い事だよね。さかなくんが准教授になる様な事も可能だからね。
例えば中国や韓国では知識を得る前に先ず英語を覚える必要があったが日本だと興味があれば日本語では得られた。ノーベル賞の益川博士が英語を話せず外国にも行った事が無かったなんて外国人にしたら驚愕だろうな。(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

戦後、台湾のエリートが一番困ったのは日本語が禁止されて、各分野の最新情報に触れられなく成った事だったそうな。
言語を奪ったとお怒りの朝鮮の馬鹿共は日本語が無ければ高等どころか初等教育すら行えなかった事をどう説明するのか?
朝鮮語の文献等何処にも無く、有るのは中国語の古書しか無かったんだぞ朝鮮には。
そして、今使ってる朝鮮語も日本が作った標準朝鮮語で有る事も知らない。

なんだろうね、江戸の昔から母国語に翻訳する情熱は凄かっただろ?
解体新書を翻訳した杉田玄白(蘭学)も大分有名だよね。
(そもそも、平安の昔から中国語(?)も翻訳してたよね)

他の国にこの気質は無いの?

最近は日本でもカタカナにはするけど翻訳はしなくなった気がする

他国はエリートだけの特権にしたいから庶民にわかるような翻訳はしなかった。それこそ長い事学問はラテン語ができない人には無縁だった。
日本がやたら公文書を疑漢文で書いていたのがちょっと似てる。

日本が英語なんたらいうアホの言語に染まらなかった理由でもある

当時アジアの殆どの国は西欧の植民地(日本以外ではタイでさえイギリスとフランスの干渉地に過ぎなかった)だった
その事実を考えるとこうなるのは必然だった

刀鍛冶、宮大工、日本人は職人気質や技術的な下地があった事も大きいと思う

最近は「本を出しても金にならん」等と立場にある人が知らんぷりらしいが…

日本は各時代に必要な最低限なことや、そうなるのは仕方ないことが起きてると感じることがよくある。室町幕府の弱さ→戦国の地方分権→安土桃山で統一や海外交流やら沢山→江戸の天下泰平で様々なのが興隆、適度な鎖国と海外文化流入→明治へ。

寺子屋、和算、博物学、蘭学とか、江戸時代に見られる諸要素が結実。先人の残した日本の良い部分、良い文化を後世まで永遠に。

>AIによる翻訳に興奮するのはこういう歴史上の事実があるからだよ。
>あらゆる技術的な知識が、あらゆる人々の母国語で利用できるようになる。

技術的な専門用語をローカル言語に落とし込む作業にはその分野に精通した人間が意思決定する必要があるためAIだけでは無理でしょう
その作業には膨大な数の専門家と工数が必要なため日本以外の国では諦めて英語等の専門用語をそのまま受け入れています
日本が先進国になれたのはこの大事業を成し遂げた先達たちにのお陰です

僕も同じ意見。その国の文化に見合う訳し方をしなければ根付かない。直訳でも駄目だが意訳過ぎても駄目。

鎖国していたと言われる江戸時代に既にかなりの文献が翻訳され蒸気機関も反射炉も独学で作っていた背景があってのことなんだよな。明治維新で尊王攘夷と言いながら蘭学者の思想を利用した薩長や志士たちが作り上げた政府だったってのも西洋化を後押ししていた。
徳川政権でも蕃書調所って本格的な海外情報の収集と翻訳を始めていたしそれ以前からも海外の情報を広く集めていた。
徳川鎖国非難は攘夷を声高に叫んでいた連中が作った明治政府のダブスタプロパガンダなんだよね。あれだけ海外との交流を悪と断じていた連中が開国派だったような嘘をつく。現代人が騙されているのは司馬史観の悪影響だよな(笑)当時の国際情勢で海外との交流を国が管理していたのは別に異常じゃないしね。それこそ戦後の日本の方が海外渡航を制限され管理されて鎖国状態だったよ。
速やかに近代化って美名の実際は単なる富国強兵に成功したのは江戸時代の教育の大衆化、一般人の教養の高さによる部分は大きいし、大量生産には至らなかったものの家内制手工業では世界最高峰の技術が基盤にあったことも大きい。この下地がどちらも他の国には無かった。ってか欧州にも無く、だから一部欧州の国をすぐ日本は追い抜いた。
明治維新の凄さもそうだが、江戸時代の凄さも海外はまだ知らない。室町末期堺を中心にしたルネサンスと呼ばれる一大文化隆盛期も当時交流があったのに知られていない。欧米人は現在から過去を差別と偏見で修正して当時はアジアが先進地域で欧州は未開だったことも知らないし認めない。自分たちで中世暗黒期からルネサンスでペルシャアジアから文化を再輸入して復興したと記しているのにな。

欧米人の考える近代化って単なる西洋化富国強兵だからね。そしてそれは単に欧米が他を支配する口実に過ぎなかったから有色人種の日本が成し遂げたら潰された。それが常任理事国から人種差別撤廃条約否決、包囲網からの敗戦に至る流れだからな。

外国語で学ばなければならないのはエリート教育に終わり上層階級しか恩恵を受けられない。
日本の凄いのはエリート教育しか存在しない時代にすでに裾野が広いことの重要性を知っていたことだし、実際に教育の裾野が広いことの恩恵を受け発展した社会だったこと。庶民に高度な文化や先端技術が行き渡っていた社会なんて当時日本にしか無かった。殿様が雪の結晶を研究する反面、庶民が算額を奉納し、貸本で読書を楽しんだ。町絵師が西洋の遠近法やプルシアンブルーを直ぐに作品に取り入れた。世界最高峰の精密な時計を作り、からくり人形が庶民の娯楽に。西洋の医学書を翻訳印刷し一般に販売した。
西洋人からしたら完全フィクションの世界

自分の意思で日本に来てるくせに、日本語が難しすぎるとか、英語が通じないとかぬかして不平タラタラの外人どもは明治の気骨ある日本人たちの爪の垢でも煎じて飲めよ。

公用語英語化が手っ取り早い国はあると思うけど日本は江戸時代での識字率も高かったからな

自分の意思で日本に来てるくせに、日本語が難しすぎるとか、英語が通じないとかぬかして不平タラタラの外人どもは明治の気骨ある日本人たちの爪の垢でも煎じて飲めよ。

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