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「深い!」魔女の宅急便の重要なシーンが米国版では違っていた⁉|海外の反応

Image source:https://www.ghibli.jp/works/majo/

ジブリ映画『魔女の宅急便』に対する海外の反応

この記事では、スタジオジブリとして4作目の映画、宮崎駿監督『魔女の宅急便』の海外の反応についてご紹介します!

『魔女の宅急便』は、見習い魔女の主人公・キキが、故郷を離れ、知らない町で魔女として一人立ちする姿を描く成長譚。

アメリカでは1998年に英語吹き替え版がリリースされ、海外でも多くのファンに支持されています。

Image source:https://www.ghibli.jp/works/majo/

英語吹き替え版で変更された「重要なシーン」とは?

ディズニーは1998年に映画『魔女の宅急便』の英語吹き替え版を制作しましたが、当時はセリフの追加や、サウンドトラックの入れ替えなどが行われました。

Redditや批評サイトで話題になったのは、当初の英語吹き替え版で変更された結末のとある重要なシーンについてです。

その後DVDで『魔女の宅急便』を再リリースする際、ディズニーは1998年版で加わった変更を削除。日本のオリジナルに沿った英語吹き替え版を発売しています。

しかし、最初の英語吹き替え版を見て育ったというファンは、『魔女の宅急便』の印象的なシーンだっただけに、「ずっとオリジナルの結末を知らなかった」「オリジナルの方が自然だね」など、様々なコメントを寄せていました。

そんな『魔女の宅急便』について、海外の反応をご紹介します。

※以降作品のネタバレ注意

海外の反応

1:海外の反応さん

『魔女の宅急便』は私の初めてのジブリ映画だった!

いつも私の心の中にある作品。

2:海外の反応さん

僕は、新しい場所に引っ越したら必ず『魔女の宅急便』を見るようにしてる。

3:海外の反応さん

私は『魔女の宅急便』を見るたび、キキがジジと話せなくなってしまったことが悲しくてたまらなくなるんだよね。

4:海外の反応さん

そう。キキは力を取り戻したのに、ジジと会話できなくなる…

いつもそのことに少し傷ついている自分がいる。

5:海外の反応さん

>>4
同じだ!

『魔女の宅急便』は大好きなんだけど、最後はいつもメランコリックな気分になるよ。

6:海外の反応さん

>>5
原作の本を読んで納得できた。

若い魔女は赤ん坊の頃、猫を与えられるそうだ。彼らの絆はとても強くて、鳴き声を通してコミュニケーションをとることができる。魔女がより力を得て、より多くのことができるようになると、その効果は”切れる”そうだ。

でも、ジジはずっとジジであり、キキが彼が必要としてるときはいつでもそばにいるんだよ。

7:海外の反応さん

>>6
本を読むと、キキの母親にも同じことが起こっていたことも分かるんだよね…

8:海外の反応さん

そうか、彼女はもう大人になったからジジの言葉を聞く必要はないんだ。

9:海外の反応さん

実は、最初の英語吹き替え版ではこの結末が違うんだよ。

子どもたちが悲しむのを恐れて、筋書きが変更されたんだ。

10:海外の反応さん

>>9
今は修正されて、正しい結末になってるよ。

2015年ごろ久しぶりに『魔女の宅急便』を観たんだけど、そこでジジが最後に「ニャー」と鳴くものだから、すごく驚いたよ…!

そして調べたらこれがオリジナルの結末だったと分かったんだ。

11:海外の反応さん

まじか…今までずっと、キキはまたジジの声が聞こえるようになったと思ってた。

この映画を見直す必要がありそうだ。

12:海外の反応さん

>>11
そうだった、最初の英語吹き替え版では、最後までジジがセリフを話してたんだよね。

13:海外の反応さん

>>12
当初の英語吹き替え版では、キキは再びジジの声が聞こえるようになるという結末だったけど、字幕版はオリジナルと同じだったんだ。

だから、多くの人が「英語吹き替え版は結末を変えてしまった!」と気づいたんだよw

14:海外の反応さん

正しい結末は物語としては本当に素晴らしいと思うけど、子どもの頃見ていたらショックだったかもしれないなぁ。

実は、少しだけ最初の英語吹き替え版が恋しくなるときもあるんだ。

15:海外の反応さん

>>14
僕は、英語吹き替え版のテーマ曲、シドニー・フォレストの2曲(”Soaring” と “I’m Gonna Fly”)が懐かしい。

16:海外の反応さん

これがフィル・ハートマンの最後の映画出演だったから、最初の英語吹き替え版ではその瞬間がより強く印象に残ってるんだ。

特にジジの”Kiki, can you hear me?”(キキ、聞こえる?)というセリフ。

これはハートマンが映画で語った最後の言葉のひとつだ。映画を観る前にこのことを知って感情的になったのは私だけではないはず。

フィル・ハートマン(Phil Hartman、1948年9月24日 – 1998年5月28日)は、カナダオンタリオ州生まれの俳優・声優・コメディアン・脚本家。(中略)宮崎駿監督の日本映画作品『魔女の宅急便』が米国で公開された際には、黒猫“ジジ”の声も担当している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

17:海外の反応さん

成長には別れが伴うものだ。

色々な経験をした自分は、決して以前のようには戻れないでしょ?最後に昔のようにジジと話せたら、キキの旅は台無しになってしまうと思う。

オリジナルこそが自然な筋書きだ。

18:海外の反応さん

私は年に一度は見て、大人として現実をどう生きていくかのガイドにしてる。

『魔女の宅急便』の自立の不安や孤独、そして時々は休んで新しいモチベーションを見つける必要があるということを描いているところが大好き。

19:海外の反応さん

『魔女の宅急便』のオリジナルの結末はとても力強いと思う。

それがこの映画が何年も私の心に残り続けている理由の一つかも。

20:海外の反応さん

日本のアニメ(特にスタジオジブリの作品)を見て僕が感じてるのは、子供向けの物語にも、ある程度の「重く暗い部分」が必要だということだ。

本当にそれは子どもには相応しくないんだろうか?昔子どもだった人なら、きっとそのうち分かるときが来るって知ってるはずだ。

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感想・まとめ

自分が慣れ親しんでいたシーンが、実はオリジナルとは違っていたというのは確かにショックですよね。

今では修正されており、今後こんなことはなかなか起こらないと思いますが、当時のアメリカの子供向け映画に対する価値観と、子供向け映画でも深いところまで描き出すジブリ作品との対比が見え、とても面白かったです。

ここまで読んでいただきありがとうございました!
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44件のコメント

アメリカの人がなぜ宮崎氏がかくもアメリカを嫌ってるかについて割とフェアな解説をした動画を作ってた中で話されてたな
他の作品でも色々と勝手なことをしたり、そんなこんなで鈴木プロデューサーはディズニーに刀を送って、「編集でオリジナルを勝手に『切る』な変更するな」というメッセージを送ったといわれてる

ディズニーは手塚治虫の事もパクった上で無視し続け、ディズニーの権力や権威や影響力が大きかったために好き放題し続けた

でも彼らがアメリカを代表するスタジオだったため、アメリカは日本のアニメに対して色々と後ろめたい借りを作ってしまって今になって、過去の悪事が表ざたになってきたのでジブリや宮崎氏に2度目のアカデミー賞を与えたりして贖罪してる途中らしい

今日この記事上げてくれて感謝。
これ踏まえて今日の放送観ることにしました😌

訴訟社会のアメリカらしい現象だよなぁ
フランダースの犬実写映画版も、アメリカ版では主人公が助かるという改変版
一昔前、ハリウッド映画は保険会社が作るなんて揶揄されてたかくらいだ
ちなみに今はポリコレサヨクが映画を作ることになってしまい、よりおぞましい状況だ

このシーンの余韻がすごく好き。
今日の金曜ロードショーが楽しみだ。

旧友との別れってのもそういうものだしな。
お互いに成長して仕事や家族を持てば昔と同じままの関係性ではいれらない。

子供のためなんてのは建前で、連中は日本の作品に手を加えたくてしょうがないんだよ
そうやって改変して、ヒットしたら「俺の改変のおかげ」つって自分の手柄にする

アニメもゲームも日本の作品はみな同じ目にあってるよ

ローカライズする際は文化の違いについて説明が必要なこともあるし
ある程度の調整は必要と思ってるけど、
これはたった一言加わるだけで、かなり後味が変わってくるタイプの変更だな、、、

後々修正されて良かったと思う。

いつも思うのだけど
強く自立していく女性を描きたいなら
ポリコレ勢が躍起になるようなヒーローを貶めたりヒーローモノを乗っ取らずとも
魔女宅で充分なんじゃないかと
まあセラムンに限らず、戦う女の子モノは別枠で沢山ある日本の環境で育ったからそう思うのかもだけど

その通りだと思う。

世界中の面白い作品の中から
子どもでも「これが自分のための物語だ」と思える作品を見つけられるような環境があるといいよね。

そうそう。大人には聞こえないモスキート音アプリみたいなもんよ。

キキが大人になって、猫と会話できなくなる。
キキが大人の女の優しくて悲しい諦念の表情で、猫と会話できなくなったという現実を受け入れる(でも愛情は変わらない)

キキの成長を、こうやって二重の形で一瞬で描くから凄かったのに。

米国はいつも外国映画に余計なもの付け足す
『プライドと偏見』も本家はヒロインが父に結婚報告するシーンで終わるのに、北米版はその後に恋人とイチャイチャちゅっちゅする
厳格な英国貴族社会の話だぞ、トレンディドラマちゃうぞ

え!知らなかった
あの「ニャー」ってオソノさんには猫の鳴き声として聞こえてるって意味だと思ってた。
キキには魔力が戻って従来どおり普通にコミュニケーション取れてるものだと…

映画では、観客に委ねられてる感じじゃなかったかな?
自分が思った通りの結末でいいと思いますよ。

へー、話が出来なくなる理由まで考えが及ばなかった
原作小説では理由がわかるんだな

確かに子供の頃はジジが喋らないままだったのが悲しかったけど、大人になってから観ると成長して子供の頃に心を通わせたものと同じ目線に立てなくなっても良いんだって勇気を貰える良いシーンだよね

子供の頃はジジと喋れないままになったのは悲しかった
でも、大人になった今では分かる
成長して行く過程で環境や道が分かれても、お互いを思う気持ちがあれば友達(相棒)でいられる
それこそ幼少期のようにベッタリしなくてもね
キキが大人になる一歩を踏み出した良いシーンだよ
ハッピーエンドの中にほろ苦さがあるのがとても良い
変えたら台無しだよね

改変の動機が親の過保護であれ作品の横取りであれアメリカの傲慢さが詰まったエピソードだと思った。作品や物語よりも別のものを重視してりゃハリウッドも廃れるわけだw

日本人は子供でもそのまま見て受け入れてたから、米国版は今思うとかなり過保護な印象

子供の頃はジジが喋れなくなったことが残念だったけど、大人になると「キキが大人になったんだな」という納得感がある
他の人もやっぱり同じ思いなんだ

少しの改変だけど意味が大きく変わってくる改変だ
英語吹き替え版ばいま問題になっているポリコレ云々じゃなくて「観ている子どもたちのことを考えたらこの方が良いだろう」と考えた結果だと思う。英語吹き替えされた時代はまだポリコレにうるさい時代じゃなかったんだし
この改変が子供の気持ちを慮った正しい改変か、余計な改変かは悩ましいところだな

ナウシカの改変は愚か過ぎる改変だったけど
魔女宅の改変はあれとは意味合いが全然違うからね

日本でも海外の映画の字幕や吹き替えが大きく変えられることがあるからな。
「日本人はその意味がわからない」ってことがあって。
例としてダイハード3で実際には
「警察なんかいねえよ。クリスマスみたいだ」
というセリフが英語字幕では
「警察なんかいねえよ。盗み放題だ」
と変わっていた。
アメリカではクリスマスは警察も休みだということを当時の日本人で知ってる人は少ないからそうしたんだろうな。

字幕内容の変更は今も世界中であるんだよね
昔は英語話者が少なく、業界で権威のある翻訳者一人でできてしまうから、すぐにそうなりやすいってのもあってそうなってしまってて残念
今も日本のアニメで意味が違う変な英語の字幕がついてるのを見ることがあるけど困ったもんだわ

ただジブリの場合は、監督やスタジオから散々クギを刺され怒られてるのにディズニーは確信犯でやり続けてたから罪が深いんだよね

へー面白い!
翻訳の都合で知らないうちに内容が変わってることとか、
山のようにあるんだろうな…

結構昔からやらかしてたんやなでずにー……
その後他社既存コンテンツを取り込んでは潰すディザスターっぷりがこの頃は最終的にこっちに及ばなくて良かった。

「子供は大人以上に働くぞ。大人扱いしてやればな」
という台詞をふと思い出して、どのジブリ作品に出てくる台詞だったか……と考えていたら、これは『七人の侍』の台詞だった。

「子供扱いされて悔しかったこと」や「大人扱いされて気が引き締まったこと」は、成長の過程で誰しも経験する事なので、日本独特の哲学だとは思わないが、少なくともディズニーは過保護だと思う。

「子供相手にはこの程度でいいよね」と上から目線で決めつける事はある意味で『大人の傲慢』とも言えるが、ディズニーのポリコレ教育を見る限り、これは今も色濃く残っていると思う。

前から思ってたけど、アメリカって子供の成長を信頼していない、強くコントロールしたがるところあるよね
包容力が足りないつーか、子供っぽいっていうか

いや、そもそもアニメ版自体が原作をリスペクトしてないクソオリジナルなんだけど。
原作ではそんなショッキングな演出に頼らなくてもキキの成長が丁寧に描かれている。原作ではキキは戸惑いながら自立してゆく一人の少女だけど、アニメではただのロリコン爺のおもちゃ。
宮崎駿はアニメに関しては天才だが原作付きアニメはパクってるくせに原作の精神すら理解できないほんまの糞。

魔女宅のラストは宮崎駿にしては(抑え気味だが)宮崎駿たらしめる絶妙なラストなのに
まぁ日本アニメのほとんどがアメリカ翻訳編や集英社の思想と同類だけどな

全てがハッピーエンドの温い映画ばかり見せてるから、アメリカのガキは何時迄も大人に成れないんだよ。
アニメによって人生はハッピーエンドばかりじゃ無く、矛盾や不条理に満ちてると教える事が教育ってもんよ。

逆じゃないかなあ
アメリカの現実がつらすぎるから
違法に柵を超えてアメリカに来た移民の人とか、道端の薬中とか、目にするからトラウマがある
そのトラウマが発作を起こさないようにせめてエンタメに没頭できるユートピアを見たいんじゃないかと

アメリカは改変スキルが低くて改悪しかできないくせに、外国映画をいつも改変したがる悪い癖がある
音楽でもオリジナルのスタンダードナンバーを妙な形で変奏したりして、ちっとも良くならないのになぜか偉そうにしてる
要するに田舎者なのよ

彼らが初めて真実を知った瞬間を想像したら可哀想になってきた
一言変わっただけなのに、後味が違いすぎる

この改変と修正が注目されたことで、正式な方のラストの良さと切なさが際立った気がするなぁ

ラピュタも最初の吹替版は改変すごい
アメリカ人は映画の無音が耐えられないらしくて
久石本人に依頼してまで新規BGM追加しまくりセリフも追加しまくり

後年に出し直した新しい吹替版は日本のオリジナルに忠実になったけど
最初の吹替版で育った当時子供だった米国人視聴者には
「えーなんか違くね?」と逆に違和感を持たれてしまうという

実はジジは最初から言葉を喋ってなくて、キキが勝手にジジの声を脳内で聞いてただけという解釈もある。キキに友達が出来て、ちょっと成長して、もう脳内でジジと会話する必要がなくなったから聞こえなくなった的な。

その通り、最初から喋れる設定なら普通は旅立ちが決まったというシーンで
ジジに「やったねキキ!」とか喋らせるはずが普通のネコとして描かれている
旅立ちの準備をしているシーンで不安になったところで初めて「大丈夫なの?」と喋り出す

先輩魔女を振り返って「やな感じ」とか、窓から貴婦人を見て「気取ってる」とか言うのも
都会の女に対するキキの嫉妬を代弁している(嫉妬の対象は全員赤いピアスをしている)

フィル・ハートマン

この人、就寝中に嫁に銃殺されたんだよな
当時、ジングル・オール・ザ・ウェイって映画をレンタルビデオ店(死語)から借りて
視た直後だったから、このニュースを知って衝撃を受けたのを覚えている

子供の頃ちょっとした違和感とか異物感、寂しさの残るエピソードを含むハッピーエンドって、成長の過程でトゲみたいに残ってそれが気付きとかに繋がっていくこともあるだろうから大事なものだと思う。
完全な娯楽と割りきる作品ならともかく、成長物語にはあっても良い大事な要素だね

映画の描写の仕方じゃよくわかんなかったな。
原作の理由をここで初めて知って納得できた。
“効果”の話は入れてほしかったな。

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